患者さんの体験談

季刊 精神科診断学 11(3):371-375
特集:不安の医学−社会恐怖−

私の対人恐怖体験
山本良信


要旨:スピーチ恐怖症、対人恐怖症。人前で上手に話してみたいという欲求は人一倍強いが恐怖から声が震えて、それができない。突然に人前で挨拶をすることを促され、冷や汗が出、足が震えるという対人恐怖体験を何度も繰り返す。3年前からクロナゼパムと塩酸カルテオ−ルを処方され、著効。人前での緊張感が消え、予期不安もなくなった。

 

1.普通の人の緊張との違い

 私は高等学校で理科を教えている一教師です。
このような立派な会場の演壇の上から、話をするというのは苦手ですが、今日は清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、お話をしたいと思っております。

 人前で話をするのが苦手な私ですが、学校では生徒に授業をすることは苦手ではありません。年齢差があることと、知識の量が全然違うからです。そんなふうに差が大きい場合は、あまりプレッシャーを感じないのですが、このような場で話すとか、自分と実力の接近した方と話をするのは非常に怖いのです。

 いま苦手と申しましたけれど、苦手というより苦痛といったほうがいいでしょう。恐怖心さえ感じます。単純に怖いのです。たとえば、山の中で突然熊に出会ったとしましょう。怖いですね。密林の中で、突然大きな虎に出会って、するどい眼光に射すくめられたとしましょう。きっともっと怖いことでしょう。人前で話すということは私にとって、それと同じような怖さがあるのです。ただし、私の恐怖の対象は、虎とか熊といった具体的なものではなくて、私の心の中にある漠然とした不安であるわけです。

 しかし、その現れ方というか、反応はたいへんよく似ています。冷や汗が出てきて、足が震えてきますし、声も震えてきます。そして、どうしていいかわからなくなります。

 芸能人や政治家が人前で自由闊達に話をするのを見ていると、うらやましくてしかたがありません。この間、女優の木の実ナナさんがうつ病の治験薬の新聞広告に出ていました。それを見て、ちょっと親近感を覚えました。歌手や俳優の方にも、うつ病の人がいるのだということを知ったからです。しかし私のような、スピーチ恐怖症とか、対人恐怖症はないのではないかと思います。ましてや、政治家には対人恐怖の人はいないでしょう。昨今の政治状況を見ていますと、スピーチ恐怖とか、対人恐怖の人が政治をやったほうがうまくいくのではないかとさえ思えます。

 一般の方にも、人前で話すのが得意な方がたくさんいらっしゃいます。一方で、苦手だと言われる方もけっこういらっしゃいます。しかし、そういう方と私とが決定的に違う点があります。普通の方の場合、いわゆる平常心の延長線上に緊張感とか、ちょっとイヤだなという気持ちがあるのではないでしょうか。ですから、突然指名されて発言をしろと言われても、緊張はされるでしょうが、それなりに無難にこなすことができる。ところが私の場合は、それとは決定的に違います。緊張感が直線上に上がっていかないで、突然ポーンと飛躍してしまうんです。そのような断絶というか、不連続があります。

 理科の教師ですので、理科の言葉で、私の精神状態を説明します。科学の言葉に相転移というのがあります。たとえばここに一杯の水があったとしましょう。水は一気圧下で0℃以下になると、氷になります。ところが0℃をちょっとでも越えると、氷という状態では絶対に存在できません。すべての分子の並びがランダムになって液体に変化します。0℃を境に劇的な変化が起こることを相転移といいます。

 私は、人間の心とか精神にも、そのような相転移というものがあって、突然融けてしまうというか、崩れてしまうといった限界があるのではないかと思うのです。それが崩れさる要因には、身の周りのいろいろな条件が関係しています。私のようなスピーチ恐怖とか対人恐怖の人間は、相転移の温度が非常に低いところに設定されているために簡単に崩れてしまう。普通の方は常温付近にあるので、ある程度我慢できる。度胸のある人はもっと高いレベルにある。人によって段差が違うのではないかと思います。

 

2.対人恐怖体験

 私は碁打ちで、アマチュア五〜六段の腕前です。数年前、別の学校に移動することになった私のために、囲碁の仲間が数名集まって送別会を開いてくれたことがありました。一杯やりながら、楽しく碁を打ったのち、幹事の方が「それでは異動される山本先生にあらためて一言ごあいさつをいただきましょう」とおっしゃられました。突然、あいさつを促されたわけです。途端に、私はドキドキして、心が融けてしまったのです。メロメロになって話ができないのです。親しい仲間たちはびっくりしてしまって、「どうしたんだい。そんなにわれわれと別れるのが悲しいのか」とか、慰めてくれます。でも、そういったことではなくて、私はたんにドキドキして言葉が出なくなってしまっただけなのです。なかでも、「あらためて」という言葉に私は鋭敏に反応したような記憶があります。言葉というのは一種の記号ですが、その記号に私の心は鋭敏に対応して、心が崩れさる状態になってしまった。

 ごく親しい数名の仲間と、しかも酒の席で話をするのでさえ、このありさまですから、他の状況では推して知るべしです。たとえば、こういうことがありました。

 今の学校に移って間もない頃です。この学校では、ホームルーム合宿があります。学年の生徒全員がある施設に泊まり込みます。そして、ホームルームごとに、「キレること」、恋愛問題、勉強といった高校生が直面するいろいろな問題を話し合うのです。2日間、話し合いがもたれ、3日目に各ホームルームで話し合ったことを各クラスの代表が壇上で発表するのです。それを聴いて、最後に先生が講評します。講評する先生は事前に決まっていて、そのときは私ではありませんでした。私はただ見ていればよかったのです。そこで、のんびり見ておりましたら、会が予定より早く終わって、時間が余ったのです。そこで、司会の方が、せっかく時間が余ったのでいらっしゃる先生方に一言ずつごあいさついただこうと発言したのです。私は、「余計なことをしてくれたもんだ」と思いました。

 発言の順番がまわってきたときは、心臓が飛びださんばかりでした。自分でどうやって壇上に上がったのか、壇上でなにをしたのかもほとんど記憶にありません。マイクにさわった記憶があるくらいです。話は支離滅裂、声は震え、足も震えっぱなしです。生徒が少しざわついたという記憶があります。あのときは、まずい条件が重なったと思います。赴任して間もない学校で、知っている人も少なく、緊張状態にありました。それから突然指名されたことです。不意打ちをくらったみたいなものです。ですから、よけい緊張してしまったのです。それからもうひとつは、壇上で話せと言われたことです。

 あのときはほんとうに恥ずかしいと思いました。穴があったら入りたいとはこのことです。と同時に、自分で自分がいやになってしまいました。なんて自分は情けない人間だろう。以前、「自分で自分を誉めてあげたい」といった方がいましたが、それとちょうど逆です。自分で自分をけなしてやりたいという感じです。教員という仕事は私には無理だと思って辞めようかと悩みました。
 同僚から今でも「あのときはひどかった」とからかわれますが、私はそのたびに身体的な欠陥を笑われているような感じがして、非常に傷つくのです。言うほうは軽く捉えがちで、言われるほうは逆に重く考えすぎるのかもしれません。

 もう少し私の症状についてお話しします。

 私は校内放送で話をすることに対しても非常に緊張します。マイクに近づくだけで、体が硬直し、胸が締め付けられるような気分になるのです。放送というのは不特定多数の人が聞いているわけで、誰かが私の話を一生懸命に聞いていると思うと本当に怖くなるのです。そのほかにも、放送には私を緊張させる要因があります。ひとつは自分の声が増幅され、ちょっと震えた声が何十倍にも震えているように聞こえるのではないかと思って緊張してしまう。もうひとつは、放送では姿が見えませんから、声が勝負です。身振りや仕草でカバーできませんから、声を出すのに異常な緊張が伴うのです。異常な緊張がともなうのです。でも、不思議なことに、電話で話すのは怖くないのです。

 また入学式が恐怖です。入学式は学校にとってもっとも厳粛な式です。たくさんの来賓の方、保護者の方がお見えになっているなかで、壇上で入学する生徒の名前を呼ばなくてはいけない。これが怖いのです。

 

3.対処法

 対人恐怖に対処するためにいろいろなことをしました。ひとつは自己催眠法です。自分を催眠状態において、スピーチが上手にできるようになると暗示をかけるのですが、私のような人間は催眠に入るのが苦手なようです。疑り深いのでうまくいかない。けれど、これはこれでいいと思ってつづけています。

 それから、話し方教室に通いました。私のように人前でまったく話ができない人間や話ができても上手にできない人の集まりです。10名くらいの教室に2年間ほど参加しました。自己紹介から始まって、3分間スピーチの練習を繰り返し行いました。最初のうちは自己紹介すら満足にできませんでした。緊張して声が震え、自分の名前がいえないのです。でもだんだん練習していくうちに、十分ではありませんが、人前で話が出きるようになりました。私は2年間で卒業したのですが、今でも週1回OB会に通っています。私と同じような境遇の方ばかり30〜40名の会なので安心できるのです。同病相あわれむというか、心が落ち着きます。話に失敗しても、緊張して声が震えたりしても、だれもバカにしないし、励ましてくれるからです。あまりに安心して話せるものですから、最近では勉強にならなくなってきたようにも思います。

 

4.劇的に効いた薬

 職業柄、本屋さんに立ち寄ることが多く、そこで貝谷久宣先生の『脳内不安物質』という本を見つけました。そこに書いてあった社会恐怖症の事例が私にたいへん似ていました。その方は、人前で字を書くと手が震えるのですが、私は人前で話すと声が震えるわけで、よく似ています。現れ方がちょっと違うだけです。それで3年前から、病院で薬を処方してもらうようになりました。クロナゼパムというベンゾジアゼピン系抗不安薬と塩酸カルテオロールというβ遮断薬です。自律神経をコントロールして、心臓のドキドキを抑えるときいております。このクロナゼパムとβ遮断薬の組み合わせは、私には大変よく利きました。劇的といってもいいでしょう。今まであった緊張感を10とすると2ぐらいに、たぶん普通の人の緊張感ぐらいに収まったのです。緊張がなくなることはありませんが、非常におだやかな状態になりました。あらためて脳の中で起こっている化学的な変化が、人間の行動に影響を与えているのだということをつくづく感じたしだいです。

 その結果、私は自信がだんだん出てきて、人前で話ができるようになってきました。リラックスした緊張感というか、緊張してはいるがリラックスできるというたいへんいい状態が今日までつづいています。このあいだ、300人ほどの保護者を前に1時間ぐらい講演しました。私は落ち着いていたと思います。何人もの教職員が聞いていましたが、たいへん上手だったと誉めてくださいました。それから何回も同様の経験をしました。300人くらいの生徒の前で、生活指導や勉強に関して話したこともあります。これも上手にできたと思っています。

 そうやって、だんだんと自信をつけていきました。職員会議の場でも、以前は発言すると緊張するので、発言内容を一気に一息で言ってしまうということがありましたが、そういうことがなくなっていきました。一人ひとりの顔が見え、その場の雰囲気で、自在に自分の話の調子を変化させることができるようになりました。

 さらによくなったこととして、とりこし苦労=予期不安がなくなったことです。以前は、会議で話さなければいけないことがあると、ずっと前からそのことが頭に浮かんで、食事が喉を通らないとか、夜も眠れないとか、いやでしかたなかったのが、そういうことがほとんどなくなりました。今でも面倒くさいという気持ちはありますが、緊張するということはほとんどありません。薬を飲み始めてから、失敗した経験がないので、すっかり自信がついたといってもよいでしょう。

 私のように緊張しやすい性格の人間が教師をやるのは、職業上の大きなミスマッチではないかと考えております。私が別の職業についていたなら、このような性格の欠陥が顕わになることもなかったかもしれません。しかし逆に考えるとミスマッチであればこそ、いろいろな方と出会うことができ、自分を改善するという努力ができたといえるかもしれません。今では、それはそれでよかったのではないかと思っております。

 

5.子供の頃、そして両親について

 つぎに、私の子どもの頃の話と両親の話をしたいと思います。
 小学生の頃は人前で緊張した記憶はあまりありません。国語の時間に、書いた作文をみんなの前で、大声で読むという授業がありましたが、緊張しませんでした。先生が「君の作文はユニークで非常におもしろい。今後もがんばりなさい」と誉めてくれたものだから、一生懸命に作文を書いて、先生があててくれないかと逆に思っていたぐらいです。子どもなので、緊張という言葉を知らなかったからかもしれません。

 私がはっきり緊張するというのを自覚したのは、高校の頃です。父の転勤で長崎から東京に引っ越したのが高校生のときです。転校生なので、不安で、緊張もしていたのでしょう。国語の時間に、長々と教科書を読まされたときに、私の声は緊張してだんだん震えていきました。最後まで読まされたあげく、先生から「おまえ、男なのにだらしない」とか「情けない」となじられたのです。それ以来、すっかり緊張するようになってしまい、そういうことをやるのが非常にこわいと思うようになってしまった。私はいま教師をやっていますが、間違っても生徒にああいう言い方はするまいと肝に銘じています。高校のときの国語の教師は私にとって反面教師でした。

 大学の頃は、友だちもでき、緊張することはありませんでした。物理や数学の演習の時間に、黒板の前で発表させられるのですが、ほとんどできず、先生からいろいろ文句をいわれるのですが、自分の好きなことをやっているので、あまり緊張しないんです。私は自分の好きなことに熱中しているときは、緊張を忘れてしまうんです。

 教員になって40代半ばぐらいまでは、緊張する場面はありましたが、若さとパワーで、それを強引に封じ込めてきたといってもよいでしょう。50歳を越えて、精神も肉体も衰え、高校生の頃の弱さが再び顔を出したのではないかと思います。

 私の父は、人前で緊張するタイプではありませんでした。人前で話をする機会も多かったようですが、それで悩んでいたという印象はありません。ただし、電車の吊革を握るのを非常にいやがり、ハンカチの上から握って、使い終わったハンカチを捨ててしまうという行動をとっていました。ドアのノブも素手では絶対にさわりません。わが家のノブでさえ素手では絶対にさわらず、袖越しにさわるのです。子ども心にも変だなと思っていました。

 私の母は、普通の人だったと思いますが、神経質なところがあって、車に乗りたがりませんでした。車に乗ると酔うからいやだからではなくて、車に乗るとトイレに行けなくなるからだというのです。不思議な理由だなと思いました。たかが15分乗るのにも、途中でトイレに行きたくなったらどうするんだと父に言って、父を困らせたことを覚えています。ですから、両親とも多少神経症的なところがあって、その遺伝的要因が私に受け継がれ、スピーチ恐怖症、対人恐怖症となって現れたのではないかと思っております。

 

6.敵の強いところでは闘うな

 スピーチ恐怖症である私は、矛盾するようですが、人前で上手に話したいという欲求があるのです。上手に話してみたいという気持ちは人一倍強いといってもよいでしょう。しかし、恐怖から声が震えて、それができない。その苦しさがあります。私は長いこと、なぜ人前でこんなに恐れるんだと考え続けてきました。でも、いくら考えても答えは出ません。

 人が私に敵意を感じているとも思えないし、私みたいな平凡な人間に対して、多くの人が興味を抱いているとは思えない。ですから、理由が見当たらない。結局、言い方は変ですが、自分の内部にある恐怖心に対して恐怖を抱いていたのではないか、と思うようになりました。自分が怖ろしいと思うこと、それに対して、怖いと思っていたということです。ですから、最近は、恐怖の理由などは考えないようにしています。

 私の潜在意識のなかに膨大な量の不安感があって、私の顕在化した意識がそれと闘うことによって恐怖心が起こるのですから、この闘いは無謀な闘いです。潜在意識のほうがはるかに強いはずですから。

 私の好きな碁に「敵の強いところでは闘うな」という格言があります。まさにそのような無謀な闘いを、私はなんと長い間つづけてきたことでしょう。そう思って、よりよくなることを願うと同時に、かつての自分を反省しているところです。

 
*本特集は、2000年2月6日、早稲田大学国際会議場(井深大記念講堂)で行われた
不安抑うつ臨床研究会主催「第5回都民講演会」での報告を編集したものです。